江の川、自転車の旅 1日目 |
広島の山奥にある三次の町から江の川沿いの道を走って河口の島根県、江津の町まで約120キロほどを2日間で旅します。江の川は2011年の秋の旅で三次より上流部を自転車で走っています。今回はその続きで河口までですが、何故こんなに間が開いてしまったのか?
当初の計画では2013年の秋の旅で三次に車を置いて、自転車で江津まで川沿いを走ってから、自転車を輪行してJR三江線で三次まで戻るつもりでいました。ところが2013年の8月24日の豪雨で鉄橋が流されて不通になってしまったのです。このJR三江線は全国のJRで一番の赤字路線で、1日の利用客が全線で90人にも満たないそう。この災害でもう三江線は廃線になるだろう。となれば輪行の旅も出来ないだろうと、このコースを走ることを諦めていたのです。ところがなんと一年近く掛かって復旧して、今年の7月19日から全線での運転を再開したのでした。三江線は過去に何度も大雨による土砂災害で長期間不通になったことがあります。また、赤字と言うこともあっていつ廃線になってもおかしくない路線です。復旧したのなら、これは行くしかない。
朝の三次盆地は濃い霧に包まれていました。2011年の秋には九州の球磨川沿いをサイクリングしたのですが、その時の人吉盆地も朝は霧でした。このての霧は上がってしまえば晴れて穏やかな日になるはずなのですが、はやく霧が消えてくれないと寒いのです。
JR三次駅は駅前再開発なのか大きく工事中で、2011年の旅で使った駐車場もありません。そこでバスターミナル付属の駐車場に車を止めて、自転車を組み立てて荷を積みます。都市間バスの発着所なので長時間駐車の値段が安いのは助かりますが、駅から300mほど離れているのが旅の最後でちょっと困ることになるでしょう。
昨日は暗くなってから三次の町に着いて、駐車場の確認と夕食を食べにホテルから出ただけでした。自転車で走り出して先ずは町中をウロウロ。昨晩は気づかなかった古い町並みが残っている場所もありました。生鮎を売る店があるのも江の川沿いの町らしいですね。
そこから江の川を渡って左岸に出ます。江の川は三次から河口の江津まで、一部を除いて両岸に道があります。どちらか側が国道なら、対岸の道は県道です。これにJRの三江線も右岸左岸と走る側を何度も変えながら、三次から江津までを結んでいます。国道側が交通量が多ければ、対岸の道は住人の車ぐらいしか通らないだろう、ならば空いている国道の対岸の道を伝ってノンビリ走れば愉しいサイクリングが出来るだろうというのがこのコースを走ろうと計画した理由です。
国道は右岸に渡ってしまい、左岸の道は予想通りというか予想以上に静かです。三江線の駅も道沿いにあることが多いのですが、最初に見かけたこの駅では、近くにある家は2軒だけ。なにせ三次と江津を直通で結ぶ列車は上下それぞれ1日に2本しかないのです。三次側、江津側から出る途中までの列車も数本で、乗れるものなら乗ってみろというダイヤです。
途中、対岸に渡る橋のたもとには銀杏がみごとに黄葉していて、農家の軒下には越冬用の保存食造りがいろいろと。冬がもうそこまで近づいているのが判ります。
注連縄があるから社なのでしょうか? 扉は一年中締められているのか、冬に備えて締められたのか。ちょっと気になる小さな建物。
対岸を見ると国道の方はそれなりに交通量は多そうですが、こちら側は滅多に車も来ません。ただ、向こう側は陽当たりが良さそうですが、こちら側は日陰も多くちょっと寒い。
途中の小さな集落にあったバスの時刻表。一日上下1便? とおもったのですが、よく見たら週に上下1便。名前からみて、お年寄りの医療機関への送迎のためのバスのようです。
さらに進むと口羽の集落に入りました。ここまででは一番大きな集落で、古い家並みが少しですが残っていて良い雰囲気です。旅館と味噌の醸造蔵。郵便局は奥に見える洋館風が今はもう使われていない旧郵便局の建物でした。
左岸を進んでいきますがもう昼時で腹が減ってきました。先ほどの口羽の集落でも食堂や弁当を買えるような店もなく、念のためとチョコレートバーなどは三次で仕入れて多めに持ってきてはいますが、どうしよう。
道の脇で測量をしている人に昼飯が食べられる場所があるかと訊ねたところ、そこの橋を対岸に渡って国道を下流に1キロも行かないところに道の駅があるから、そこで何か食べられるでしょうとの貴重な情報。はじめて右岸に渡って交通量の多い単調な国道を2キロちょっと走ったら、道の駅がありました。
自転車を駐めて写真を撮っていると花束を持った年配の紳士から、どちらから来られたのですか、と話しかけられました。ここへ来る三江線の車中から自転車で走っている私を見て不思議に思っていたのが、ここでバッタリ会えたという訳です。北海道からの旅行で、今日は三次から粕淵辺りまでと話して、地元の方ですかと訊ねたら、50年ほど前にこの地を出て大阪で暮らしていますが墓参りでとのこと。もう長い間ここには帰って来ていないような話しぶりです。
道の駅の食堂といっても狭いスペースにテーブルが4つ。メニューもカレーと他に数点有るだけす。迎えのタクシーが来て紳士は墓参りに向かいましたが、ここで生まれ育ったときはどんな生活をしていたのだろう、大阪で暮らしてどのような人生を歩んで、そして何故、こんな季節に墓参りに来たのだろう。などとおもいながら、いかにもレトルトな親子丼を食べたのでした。
途中の補給食にと地の干し柿と、これも地場産オリジナルというマタタビドリンクも購入して、これで元気が出るかな。日が短いので先を急ぎたく国道を下流に向かって走ります。
すぐに左岸に戻る橋をみつけて、また静かな左岸を走りますが、静かすぎます。左岸の道は何日前に人が通ったのが最後なのかという雰囲気なのです。落ち葉はつもり、枝や落石も落ちたままだったりします。
先の見えないカーブを速い速度で曲がったところ、道路に落ちた木の実か何かを食べていた2匹の大きなニホンザルとぶつかりそうになって、サルは驚いて大声で鳴きながら山へと駆け上がっていきましたが、こっちも驚いたなぁ、怖かった。
真っ暗なトンネルをこわごわ抜けて進んでいくと、やがて右下の江の川の川幅が拡がって浜原貯水池です。ダム湖沿いに水平な道を進んでいくと浜原ダムが見えてきました。ダムの向こうに見える山はなんだろう? どうみても火山のように見えます。中国地方に火山なんて有ったったかな?
今回の自転車旅でも紙の地図は持ってきていません。最近の自転車旅では、事前にパソコンを使ってルート・ラボというサイトで作っておいたコースデータを、iPhone6に国土地理院の数値地図を表示するField Accessというアプリを使って、地理院地図に重ねて表示させています。これで必要なときにはiPhoneを出して、GPSで地図上の自分の位置を確認しながら走っていきます。
iPhoneの地図の表示範囲を拡げてみると、火山のように見える山が三瓶山だと判りました。名前は知っていましたが見るのは初めての山。こんな山奥でも国道があるせいなのか助かることにLTEも使えるので、その場で検索してみたら三瓶山は2003年から活火山の扱いです。中国地方に活火山? まあ、火山の区分けが変わったためで、私の世代なら学校で休火山と習ったタイプの火山ですね。最後に噴火したのは3600年ぐらい前らしいです。
浜原ダムの下には見事な階段式の魚道が設置されています。江の川は鮎でも知られた川ですが、三次の鮎は、この魚道を登っていくのでしょうか? 鮎も大変だな。
橋を国道側の右岸に渡れば粕淵の町です。ここで今日の宿泊地をどうするか考えます。1泊2日で走るとは決めていましたが、何処に泊まるかは決めていません。候補としては、この粕淵周辺か、あと20km弱走った石見川本の町かどちらかです。というか、この2つ以外に宿はなさそうなのです。時間的には石見川本まで進めますが、明日の行程を考えると進みすぎるのもつまらなさそう。粕淵周辺で宿を捜しましょう。
町の外れにある3セクの宿が便利そうだったのですが電話をしたところ満室です。江戸時代からの本陣の建物を使った料理旅館もありますが、ちょっと予算オーバーです。となると町から数キロ奥にある温泉地が良さそうです。数軒の宿があるようですが下調べもしていないし、最初に電話を掛けた宿が、この時間からだと食事の準備が出来ません、食事無しの素泊まりで良ければどうぞ。粕淵の町で食事をしてくるか、コンビニなどで弁当を買ってきて下さい。とのこと、ここで他の宿を捜すべきだったのですが、まあいいいかと、この宿に予約を入れてしまいました。これが大間違いだったのですが…。
まだ日没までには時間がありますが、暗くなってから自転車で走るのは嫌なので粕淵の町で時間を潰してから、夕食を買って宿に行くことにしました。この町は石見銀山から瀬戸内まで銀を運ぶ銀山街道の宿場町として栄えた町ですが、当時の面影を残すものはもう、ほとんど残ってはいません。小さな町の中を自転車で散歩してみますが30分も経たないで町の全ての道を走ってしまいました。どうするかな。
自転車旅に出るときは髪を短く切っておくのですが、夏から秋にかけては忙しかったのでボサボサ頭のままです。そうだ、床屋に行って髪を切ろう。床屋のガラス窓には「鮎あります。 1kg3000円」の紙が貼ってあります。床屋で鮎? これは面白そうです。店の中では店主とおぼしき人が、なにやら漁具の手入れをしています。
髪を切って貰いながら聞いた話が実に面白かったのです。
網漁で鮎を獲るのが好きで、若いときからカスミ網で漁をしていた。タチ網の漁の方が獲れるのは知っていたけれども真似してやってみても獲れない。昔の人ってのはエライですなぁ、なんでも知っていて教わることが沢山有る。老川漁師に訊いたところ、自分が予想もしない場所に網を張れという。そこが鮎の通り道なんだとやっと判りましたよ。今、町で一番鮎を獲るのは私でしょう、年に300~400kgぐらいは網で獲ります。でも昔の職漁師たちは鮎だけで子供を育てて学校を出したんです、あれは凄いとおもう。浜原ダムまでは河口から60kmもあるのだけれど鮎を追って大きなスズキがダムしたまで来る、ルアーで2匹釣ったよ。あと2週間早く来れば鮎網漁の舟に乗せてあげたのに、少ないときでも5kgは獲れるよ。ぜひ鮎漁の盛期にもう一度いらっしゃい。
と、そんな話を石見弁混じりで話してくれたのでした。
息子さんに店を譲って引退して鮎と遊んでいたのだそうですが、息子さんを亡くしてしまって、町の人から理髪店が無いのは困るといわれて再開して、鮎で遊びながら店の維持が出来ればいいとおもってるのだそう。そして髪を切り終わると、来年の鮎漁に備えて、また網の手入れを始めました。
髪を切ってサッパリして、コンビニに寄って弁当を買って表に出ると、なんと2台の自転車が駐めてあります。一台は地元出雲のロード乗りで軽装です。よくみるとスチールフレームでダウンチューブにシフターです。やるな。
もう一台は4サイドのキャンパーです。泥除けは外してありますが古いランドナーのようです。店から出てきたこの自転車の持ち主は、自転車の古さからみると予想外の若かさ。訊いてみたら、お父さんの自転車を譲って貰って乗っているのだそう。なるほど、でもちょっとサイズが小さいかな。夏に北海道なども回って一度は神奈川の家に帰ったのですが、また西日本の自転車旅に出たのだそうです。
しばらく旅や自転車の話をしていたのですが、メカには全く疎いようです。駆動系に不具合があるらしくヘンな音がするので診てくれないかといわれてみてみると、チェーンのコマのひとつが固着して動きません。チェーン全体も油は切れていませんが埃や泥が多量に固着して汚れていて、どうやら自転車の手入れはよく判っていないようです。ガソリンスタンドか自動車修理工場へ行ってパーツクリーナーで洗ってもらってから潤滑油を差したほうがいいよ。大きな町に出たらチェーンを交換した方が良いかも、そう高いものじゃないからとアドバイスして別れました。
野宿やキャンプで廻っているそうですが、私がもう宿に入ろうとしているのに、夜も走って温泉津を目指そうかとおもっているとのこと。もうあんなスタイルの旅は出来ないなぁ、若さと持ち時間の多さが羨ましい。
粕淵の町から弁当をぶら下げて数キロ走って暗くなる寸前に宿に到着です。ここは温泉街を形成しているわけではなく、幾つかの宿が広い地域に点在しているようで、一番手前にある平屋の鄙びた宿が、予約した温泉旅館でした。
玄関のなかに自転車を入れさせて貰って、どうやら客は私ひとりのよう。平屋と思ったのは間違えで、下へ下へと階段を降りて案内されたのは川べりの部屋です。階段に敷かれた赤いカーペットも部屋の畳も、そしてもう寝られるように敷いてある布団もシットリ湿った感じです。傷んだ畳の部屋には電気炬燵とエアコンとテレビはあります。
部屋の中も湿った感じで寒いのでエアコンの暖房を強にしてから、大急ぎで温泉へ。ところが、部屋の隣の温泉は昭和レトロな豆タイル張りの四角い、ひとりが入れる小さな浴槽に、赤さび色に濁ったぬるい湯が溜まっているだけなのです。大急ぎで蛇口を捻ると熱い湯は出てきますが、これも赤さび色の湯です。洗い場も一畳もない狭さで家庭の風呂と変わりません。蛇口を捻ってお湯を出すと壁の向こうでゴーッと凄い音がするのは、どうやら灯油ボイラーの沸かし湯なのでしょう。傷んだ古い浴室中の全てに赤さび色が染み込んでいて、もう場末感たっぷりです。
それでも一日自転車で走ったあとに湯で体を温めれば、一息はつきます。車で来ていたなら怒って出ていたかもしれませんが、自転車じゃあ他の宿を今から捜すことも出来ないし、谷底だから携帯も使えません。こんな旅も面白いとおもわなきゃ、やってられない。
暖房も効き始めて、コンビニで一緒に買ってきたビールを飲んで夕食を食べ始めますが…??? 何やら臭うのです。暖房で暖められた部屋のあちこちでカメムシが動き始めたのでした。壁やカーテンに付いているだけでなく、炬燵や布団の中にまでカメムシがいるのです。なんとか十数匹を捕まえてカップ味噌汁の容器に閉じ込めて、もう笑うしかないですね。この部屋、どのくらいの間、使ってなかったのでしょう? それでも疲れと酔いで、重い湿った布団でぐっすり寝てしまいました。つげ義春の世界みたいだなぁ、と想いながら。