半旗 |
長く宿を営んでいると、親戚づきあいのようになってしまうお客さんたちも何人もいます。毎年、お盆にやってくる菊地一雅さんも、そんなお客さんのひとりでした。菊地さんが「鱒や」に来はじめたのは、もう十数年も前です。夏休みには毎年必ずヤマハのV-MAXを駆って北海道へ向かうのが、彼の年に一度だけのバイクの旅なのでした。そして、宿で泊まり合わせた旅人たちに、持ってきた甘い白ワインを振る舞うのが彼の旅の楽しみでした。
菊地さんは今年のお盆休みはバイクを新型のV-MAXに替えて、でも同じ紺色のバイクで、リアフェンダーには15年以上も乗った前のV-MAXと同じ、サザンクロスの旗のステッカーを貼って「鱒や」に現れました。
菊地さんは山形生まれの生粋の東北人で、ある会社の東北各地の支店を次々と廻り、東北を心から愛していました。数年前からは名古屋へ支店長として赴任していたのですが、この夏に名古屋から乗ってきた新車のV-MAXは山形ナンバーでした。どうして? と訊ねたら「山形ナンバーで乗りたかったから、母の名義で買ったんです」と笑顔で話してくれました。
昨日の昼過ぎ、菊地さんと私の共通の友人から電話が入りました。
「菊さんが死んじゃった・・・」
詳しい原因は判りませんが内臓の病だったようで、一昨日、調子悪いと病院に行って、昨日の朝には亡くなってしまったのです。つい一ヶ月前に、いつものようにお盆に来てくれて、12月には名古屋で飲もう、と約束していたのに・・・。
菊地さんの毎夏のバイク旅では、「鱒や」の他にも道内には幾つか行きつけの宿がありましたから、この十数年間に菊地さんから甘い白ワインをご馳走になった旅人は数多くいることと思います。
V-MAXに乗った、いっけんタフそうだけれど繊細で優しい心の持ち主だった、甘い白ワインが大好きだった菊地さんのことを覚えている方がいらしたら、彼と出会った北海道の旅の日のことを思い出していただけたらと思います。心からご冥福をお祈りします。