四季桜と明智と足助 |
昨晩の豊橋のBARは実にユニークだった。蘊蓄のかたまりみたいなバーテンダーからいろいろ話を聞いたのだが、ピピッと来たのが瀬戸町の鰻屋「田代」と、そこから山奥に入った小原村周辺の四季桜の話。先ずはこの2カ所へ行ってみよう。
途中、東海道の御油の松並木などを見てから国道1号線を走っていたら、併走していた大型トレーラーの窓がスルスルと開いて、大男が身を乗り出して、なんと私の名前を呼ぶではないか!!
これには驚いた、もう何年も会っていない釣り仲間、岐阜のビッグ杉だ。独立して運送会社を興したとは聞いていたけれど、こんな場所で会うとは。いったい、どんな確率でこんなことが起こるのか? 釧路ナンバーとJFFのステッカーで気がついてくれたのだろう。この出会いが嬉しくて今日は一日気分が良かった。
豊田市の北の小原村地区と川見町地区は四季桜で知られているのだそうだ。昨晩の豊橋のバーテンダーによれば、今が見頃ののはずだという。12月の、もう中旬にもなろうという時期にサクラ?
ところが行ってみてビックリ。サクラの樹の数が半端じゃないのだ。それが7分咲きから満開を過ぎたものまで、あちらこちらと咲いている。多くの樹が樹齢10〜20年ぐらいのもののようだったから、これほど沢山になったのは最近だろう。が、中にはかなり太い古木もあったし、山の中腹などで咲いているものもあったから、もともと、この地にあった桜なのか?
四季桜は、狂い咲きでなく年に2回、春と秋に咲くそうだ。ソメイヨシノのように樹が重くなるほどにぼったりと咲くのではなく、初冬の里山の風景の中に白に近い淡いピンクの花が楚々と咲く姿は、これはこれで美しい。数人は桜を見に来ているようでもあったが、もちろん花見酒なんて人は誰もおらず、どこででも静かに花見を楽しむことが出来た。
桜の山里から明智の街が近いことが判ったので、行ってみることにした。明智は大正村で売り出しているのだ。でも何故、大正村? 明智は県境の岐阜県側の街だが、明治村が隣の愛知にあるからなのだろうか? 実際、この町の一番の売りの建物は明治時代に建てられた旧町役場なのだ。
他の町並み保存地区の街より、はるかに古い建物の数も少なく、質もそれほどでもなく、その割に大正村の看板ばかりが多くて、売らんがための露骨な商売っ気がみえみえで、どうも私の好みにはあまり合わない。
明智の街はJR中央西線、恵那駅からの明智鉄道の終点駅でもある。この町に観光に来るなら車は恵那駅において、ローカル鉄道で来たほうが愉しそうだ。電車ではなく気動車だから難しいかもしれないが、レトロな列車を走らせたり出来ればより雰囲気だろう。
明智のあとは足助の街に向かった。足助もまた古い町並みを売りにした観光地であり、また町を流れる巴川の渓谷美を楽しむ香嵐渓という観光地でもある。
が、もうダメだ。今回の旅行で幾つもの古い町を見過ぎた。倉敷や関宿といった、第一級の町並み保存地区を見てきたばかりなので、明智や足助くらいでは、申し訳ないけれど感動がないのだ。
地方の町が喰っていくのが大変なのは田舎暮らしをしているから重々承知している。だが、品のない、露骨に商売っ気の見えてしまうスタイルは頂けない。
もちろん向かい入れる側が悪いばかりじゃないことは判っている。明智や足助の町の人が品がない訳じゃない。来る客の品の無さに合わせ町並みを飾り付けているのだろう。でも、そのやり方では街は美しくならない。良い客にはアピールできない、リピーターは来ないとおもうのだ。