越前自転車散歩 3/4 越前大野 |
自転車散歩の3日目です。昨日の晩は福井の飲み屋街の入り口にある、居心地の良い小さな居酒屋で泥鰌の唐揚げを肴に飲んで、〆はまた蕎麦でした。気持ちよくホテルに帰ったのですが、アレッ? カメラバッテリーの充電器が無い。鯖江のホテルに忘れてきたのでした。
今日の予定は先ずは九頭竜川沿いの盆地、大野まで車で移動でした。これを鯖江まで戻ってバッテリーの充電器を回収してからのコースに変更です。地図を眺めていたら、そうか! この回り道だと一乗谷の朝倉氏の遺跡に寄ることができるのに気づきました。予定には無かったのですが、忘れ物のおかげで、これはいいかも。
朝倉氏はご存じのように戦国大名で、織田信長との戦いで居城から城下町まで全て焼かれて滅ぶのですが、その跡は農地となっていました。この田んぼの下から丸々、朝倉氏の居城跡や城下町の跡が発掘されて、いまは広い保存地区となって公園化されています。
残っているのは建物の礎石と、幾つもある庭園の池に配された巨岩の群くらいですが、これを見ると戦いに明け暮れた戦国大名というイメージとはどうやら全く違う、高い文化を持った地域であったようです。まだ時間も早く観光客も少なく、秋の澄んだちょっと冷たい空気の中で気持ちの良い散歩が出来ました。
一乗谷から大野市に向かいます。まだ11時にもならないというのに、途中の福井市美山地区では渋滞して、なにやら凄い人出です。道路脇には幟が立ち並び「美山そば祭り」とあります。これは寄らねば。
会場は既に人で溢れていて、手打ちそばの出店が幾つも並びます。今年で24回目だそうで、数えてみると蕎麦だけでも9店舗も出ています。昼飯には早い時間ですが、もちろん冷たいおろし蕎麦を一杯、ネギ一本付きでした。美味しいね、ご馳走様。
大野の市街地に入ると、ここも観光客だらけです。毎日開かれる朝市ですが、今日はイベントを兼ねて店の数が何時もよりはるかに多いそう。車を駐める場所も見つからず、日曜日で観光用に開放されている、かなり離れた市役所の駐車場にやっと駐めます。
自転車に乗ってまた朝市へ行ってみますが人だらけ、古い町並みも残っていて良さそうな町ではありますが、この混雑ぶりでは風情を感じるのは難しい。街の見物はあとにして宝慶寺へ向かいます。
この寺は、中国での修行のあと帰国して曹洞禅の永平寺を開いた道元を慕って日本に来た中国僧の寂円が、道元が遷化したあとに開山した古刹です。曹洞宗では本山永平寺に次ぐ第二道場なのだそうです。
宝慶寺を訪れようとおもったのは司馬遼太郎の『街道をゆく 越前の諸道』での印象が強かったためですが、日曜日でも観光客もほとんど見かけません。修行のための道場としての寺ということもあってか、司馬遼太郎がこの地を取材旅行してから35年ほど経っているのですが、当時と雰囲気はほとんど変わらないようです。寂円が永平寺を離れて宝慶寺を開山したのは、道元の死後に世俗化していく永平寺を嫌ったためだろう、と司馬遼太郎は推察しています。
ただ、寺へ登る見事な杉並木の急登の道を迂回する、新たな広い道路の工事が進んでいました。大野の街から延々の上り坂をここまで自転車で来たのは正解だったようです。車でサッと走ってきていたら、また新道が出来たあとに来たなら、寺の印象もまた違ったものになっていたかもしれません。
修行のための道場ということで建物は学校のようにも見えます。修行僧、雲水を見かけることはありませんでしたが、境内では冬に備える準備が始まっていました。雪囲いの作業の釘を打つ金槌の音だけが境内に響いて、快晴無風の秋の高い青空の下で静寂さを返って感じさせます。良い寺を見たなとおもいながら、あんなに苦労して登ってきた道ですが、帰りは大野の町まであっという間の下りでした。
朝市の観光客も去って静になった町並みを自転車で散歩です。表通りで「モモンガ コーヒー」という看板を見つけて、これは入ってみなければ。
まだ新しい店のようですが、人気があるようでほぼ満席です。豆は自家焙煎で、若い店主のコーヒーへのこだわりも見える美味しい店でした。ただ、ミルクは?と訊かれたので頼むと、出てきたのはプラスチックのポーションの植物脂肪のコーヒーフレッシュだったのには、ちょっとガッカリ。福井で喫茶店に入ったのはここだけなので、このスタイルが地の風なのか? 豆にここまで拘るなら、ミルクやクリーム、砂糖にも拘って欲しいところです。
レジの横に店オリジナルのモモンガをデザインした文具のテープがあったので、これはモモンガ娘に土産に買っていきましょう。
市役所の駐車場へと戻る途中、卯建のあがる家並みの道を進んでいくと、その先に実に風情のある銭湯を見つけました。暖簾は掛かっていないので、営業していないのかなと覗いてみると「今日オ湯アリマス」の木札が下がっています。訊いてみると3時からの営業だそう。今は2時50分、ちょうどいいやと車まで風呂道具を取りに行きます。銭湯に戻ったら、もう随分と入浴の客が来ていましたが地元の爺さん婆さんばかり。体一面、見事な彫り物の爺さんもヨロヨロと…。
建物は昭和初期のものだそうで、素晴らしいレトロさ加減です。番台や鏡、体重計、残念なことにフルーツ牛乳は入っていなかったけれども保冷庫。脱衣籠に木のロッカー。ロッカーの奥に張ってある「ワーム」はなんだろう?と、あとでネットで調べたら富山の置き薬の会社名なのでした。
ひとっ風呂浴びたら車で今日の宿のある勝山へ移動です。九頭竜川沿いの、大野よりはひとつ下流にある古い町の料理旅館「板甚」が今日の宿です。自転車に乗る旅では毎日洗濯などもあってビジネスホテル泊まりが便利なのですが、勝山では手頃な宿が見つからず、ならばとこれも『街道をゆく』で司馬遼太郎も取材の時に二泊したという宿にしてみたのでした。
35年経って『越前の諸道』に描かれていた若い夫婦が切り盛りする老舗の宿は、孫も居る老夫婦が切り盛りする宿に変わっていました。宿泊客は他にも居ましたが、宿で食事を摂るのは私だけのよう。食事は増築された料亭部門の畳の広間でしたが、部屋は旧館の二階の通りに面した部屋で、障子を開けると通りが見下ろせて、街道沿いの古い宿屋の雰囲気が楽しめました。