北陸本線廃線跡を訊ねて |
旅に出ています。この季節としては暖かな日が続きそうです。サイクリングに快適なのは15度から20度くらいですが、今日の敦賀の予想最高気温も14度でなんとかいけそう。この季節の旅では日本海側は気温が低くて自転車は難しいと諦めていたのですが、この天気予報で予定変更したのでした。昨日の朝、今日の行程のために彦根のスポーツ用品店で自転車用の予備のLEDライト購入済みです。
今日は僅か30kmほどのサイクリングです。スタート地点は敦賀駅前の駐車場、ここで自転車を組み立てますが、7気圧で乗っている自転車の前輪が一晩で2気圧近く抜けています。ラテックスチューブならともかくブチルのチューブですから、これはスローパンクでしょう。出発前に先ずはチューブ交換の作業でした。
目的地は今庄です。北陸本線なら南今庄の次が今庄ですから僅か駅二つ分です。敦賀から南今庄までは鉄道は1962年に完成した北陸トンネルです。北陸トンネルが出来る前、1896年に開通した軌道跡は道路になっていて今日はそちらを走ります。
この区間は急峻な山が海岸まで迫っていて、敦賀ー今庄の間には12のトンネル、3つの駅、4カ所スイッチバックがあったそう。高度成長期に入ったてもまだ長距離貨物輸送は鉄道が主体だった時代に、この旧線はボトルネックだったのだそうです。
敦賀駅前から東へ向かって2kmほど走ると街外れで北陸トンネルの敦賀側入り口に着きます。ここには1972年の急行「きたぐに」のトンネル内での火災事故で亡くなった30人の慰霊碑がありました。
ここからは今庄に抜ける国道476号線がほぼ旧北陸線の軌道で、国道を走ったり、旧道を走って行くと、やがて最初の樫曲トンネルがあります。近代産業遺産として整備され、もちろん当時はなかった洒落た照明も付き、路盤も綺麗で走りやすく良い雰囲気です。12のトンネル全てがこんなのなら今日は楽勝だな、と思ったのが甘かった…。
この辺りから勾配がきつくなって国道脇には新保駅跡の碑もあります。軌道跡から脇道に入って新保の集落の中も走ってみました。
しばらく進むと葉原という小さな集落を通って、ここから軌道は国道と分かれ、北陸自動車道の上り線に沿って登っていきます。葉原の集落は北陸トンネル掘削の時には作業員の宿舎があって、当時はこの集落の小学校に200人以上の子供がいたそうです。振り返ってみると葉原の集落から僅かでもこれだけ登ってきています。
今回のルートは登り下りとも全て斜度は2.5%です。鉄道風に言えば25‰(パーミル)、つまり1000m進むと25m上がる斜度ということで、当時の鉄道での最大斜度でした。ここを昔はD51の重連で走っていたのですが、貨物輸送が増えて最後はディーゼルの三重連で貨物列車を引いたのだそう。単線ですし、この傾斜では速度は遅くなりますし、一度停車してしまうと動くことも出来なくなるので、上がり下りの列車を行き違わせるためにも水平なスイッチバック部分は複線化してとても複雑な運用をしていたようです。
トンネルを幾つか通りすぎてグングンと高度を上げていきます。といっても2.5%ですから鉄道にはキツクとも自転車には楽なもの、フロントもアウターのままでクルクル足を廻して登っていきます。鉄路跡に沿って走る左手のトンネルは北陸自動車道の上がり線です。
鉄道運行する側には難路でも、この区間は乗客に乗っては眺望の良さで有名でした。大正天皇も杉津駅で列車を止めて景色を眺めたのだそうです。その杉津駅跡は今は北陸自動車道の杉津パーキングエリアになっています。もちろん車両は入れませんが、裏からこのパーキングエリアに入ることは出来て、買い物や食事も出来ます。敦賀ー今庄間は走りやすい国道があるのに、狭い軌道跡の道路を誰が車で走るのだろうと不思議だったのですが、このパーキングエリアの従業員や納品の車が使っているのでした。
左下に海を眺めながら、また2.5%の坂をトンネルを次々越えながらクルクル登っていきます。軌道跡で中で車がすれ違えるほどの幅はありませんから、中が曲がっているトンネルには両側に信号が付いていて交互一方通行です。
信号で止まっていたら北陸電力の車が抜いていきました。さらに進むとこちらからは最後のトンネルになる山中隧道です。直線ですが約1200mあって上り2.5%です。直線のトンネルですから信号はなく早く入ったもの勝ちですが、自転車に付けたLEDライトを向こう側から視認できるともおもえません。真っ暗なトンネルのはるか奥に針の穴のような光が向こう側の出口です。ん真っ暗? このトンネルには照明が付いてない?
トンネルの入り口脇には先ほどの北陸電力の車。ふたりで配電盤を開けて作業しています。訊ねると、電気が来ていないみたいで照明がダメなんです。10分や20分じゃあ直らないとおもいます。
仕方が無い、対向車が来ないことを祈って真っ暗なトンネルに突入です。天井からは水がポタポタ落ちて、路盤は凸凹で濡れていて、LEDライトの白っぽい灯りは吸い込まれてしまって真っ暗なまま。はるか向こうに見える小さな光を目指してひたすらクランクを廻します。
反対側に出たときにはもうびしょ濡れでしたが、無事出られてホッとしました。ここは旧山中信号所の跡で、唯一スイッチバックの複雑な遺構も残っています。このルートの最高地点はここで標高は288mくらいです。敦賀駅が8mですから280m登ってきたことになります。
さーて、ここからは下りです。今庄までは2.5%の下る一方。途中にトンネルもなく、かなり上の方まで集落があるので普通の道路となります。大桐の集落は敦賀の海岸近くと違って、豪雪地帯らしく、どの民家も既に雪囲いがされています。大桐にも当時は駅があって、ここだけは今もホームの跡も残っています。
さらにグングン下って右手に北陸トンネルの今庄側の出口も見えて、線路を渡れば国道のT字路というところで踏切の手前を左手の細い路地に入ります。この路地がそのまま今庄駅に続くのですが、この細い曲がりくねった道が北国街道なのでした。
すぐに今庄の宿にはいって両側には古い家が建ち並びます。江戸期からの建物も多く町並み保存もしているようですが、チャラチャラした土産物屋などはなく観光客も見かけませんでした。驚くのは街道沿いの僅か200mほどの間に重厚な造り酒屋が四軒もあること。今は平成の合併で南越前町の一部ですが、合併前の最後の国勢調査では今庄町の人口は僅か五千人ほどでした。五千人の町に造り酒屋が4軒!! 良い町だなぁ。
雪囲いの作業中の人に話を聞いたら、昔は2階建ての軒先ぐらいまで雪が積もったこともあったけれども、最近は2mくらいかなぁ。来週降り始めるのか、一ヶ月後に積もりはじめるのか、今から用意しとかにゃ。
北国街道の雰囲気の良さに、このまま武生か鯖江まで、旧北国街道を探して走ろうかとも考えましたが、旅の日程も残り少なく、もう1カ所走りたい場所もあるので今日はこれで終了です。今庄駅から敦賀駅まではピッタリ1時間に1本のダイヤです。次の列車が車で30分弱、自転車をバラして輪行袋に詰める作業は15分(組み立てなら10分)ですから余裕があります。