2011秋の自転車旅日記 11月10日~13日 |
何時ものように車に自転車を積んで、先ずは小樽港へと向かいます。途中、札幌でpatagoniaやヨドバシカメラに寄って、旅の足りない装備を購入してから乗船のつもりでしたが、風邪を引いたのか熱があるのか、この時点では頭はフラフラで目眩がするほど。旅に出るための準備のドタバタで疲れが溜まりすぎていたようです。それでも薬局で風邪薬と、紀伊国屋へフェリーの中で読む本を買いにいきます。なにせ丸一日まったく邪魔が入らないで本を読める至福の時間は、年に何回かの長距離フェリーの移動の時だけですから、どんな本を読むかも慎重に選ばねばなりません。さて、船にさえに乗ってさえしまえばノンビリできますから21時間後に舞鶴港に着いたときにはほぼ体調は戻っていて、これなら何とか長い旅も乗り切れるでしょう。
夜の9時に舞鶴港で船から降ろされるのは毎度のことながら困ってしまうのですが、昨年秋の旅からは、上陸したらその晩の0時を過ぎるまで高速道路をひた走ってから宿泊としています。毎年の旅で舞鶴のめぼしい飲み屋はほぼ廻ってしまっていますし、旅の最初の行程がはかどるし、高速の深夜割引が使える。それにフェリーでたっぷり寝ていますから眠くもならない。到着が遅すぎて泊まる街で飲めないというデメリットはあるものの、旅の初日のこの手は使えます。で、今回は中国道の津山まで走ってインター近くのビジホに宿泊です。国道沿いにしては静かなホテルでしたが、ただ部屋が良くなかった。エレベーターの隣で壁を通して機械音がうるさくなかなか寝付かれませんでした。
翌朝はすぐに出発で、コンビニでサンドイッチと缶コーヒーを買い込んで高速のパーキングエリアで簡単な朝食です。津山の街は古い町並みも残った城下町で観るべき場所も多いところではありますが、以前にも来たことがあるので今回は素泊まりだけで通過です。中国道を1時間ほど走って三次のインターで降りて三次駅に向かい、駅の駐車場に車を止めて自転車を降ろします。車は明日までここに駐めて、輪行でJRで井原市駅まで移動、自転車を組み立てて安芸高田市の主邑、毛利元就の本拠地だった吉田の町までの40キロが今日のツーリングコースです。
使う自転車は、この春に完成したTOEIのS&Sカップリングのデモンターブル(フレーム分割式)のライトツーリング車で、タイヤは700x28c、前46X30、後13-29でカンパニョーロの09年型ケンタウルで組んであります。ランドナーとスポルティーフの中間みたいな旅行用自転車ですね。ただ春の完成時の時とは一部ですがフレームやパーツ類に変更があって、今回の旅に出る寸前にパーツの組付けが終わったので、まったく試走なしでの実戦投入です。今日の行程は40キロほどで小さな峠を越えてあとは下り基調の楽なコースですが、ここを選んだのはコースの良さと一緒に、新しいパーツのテストを兼ねてという面もあります。もし不具合が出たとしても、このあとに向かう予定の福岡や熊本なら、なんとかなるだろうと考えたのでした。
フレームの改変はリアブレーキワイヤーの通る位置の変更です。この自転車のオーダー時にはワイヤーの通る位置を余り深くは考えず、左手で後ブレーキのエルゴレバーからのワイヤーの流れが綺麗になるようにと、トップチューブの右斜め下にアウターストッパーのダボを付けるようお願いしたのです。またこのタイプの輪行車をもっとも多く販売しているであろう京都のI'sバイシクルのホームページの美しいギャラリーの写真も参考にしました。グランボアのS&Sデモンターブル車の多くはエルゴレバーを使っていますが、リアブレーキワイヤーはトップチューブの斜め下通しになっているものが多かったのも、この位置へ決めた理由のひとつでした。(ただし私の自転車はトップチューブが28.6mm径のオーバーサイズですが、グランボア車のほとんどは、たぶんノーマルサイズの25.4mm径のトップチューブでしょうから、この差が問題の有無に係わってくる可能性はあるかなとは、問題に気づいたあとで思いました。)
このTOEIライトツーリング車が完成して春のツーリングで乗っているときに、ワイヤーがトップチューブ斜め下の位置を通っていると不具合があることに気づいたのですした。ブレーキワイヤーをトップチューブ右下に通すとすると、トップチューブ後ろ側のアウターストッパーダボはカップリング金具の右下前側に付きます。ブレーキアウターは、この右下側に付けた割入りダボのところから曲線を描いてシートピン下のアウター受けへと導かれるのですが、アウターケーブルがフレームより一回り太いカップリングのロックリングに当たってしまい、アウターは外側へと押し出されて膨らむような形のラインを描いてしまうのです。このためクランクを廻していると右足の太ももにアウターが当たってしいます。柔らかいアウターですし、強く当たる訳でもないですが、これは気になります。というか一回転ごとに右太ももにアウターが当たることが気になり始めると、もう気になって気になってしかたがない。サドルの座る位置によってはほとんど当たらないことも判りましたが、座る位置の自由度が狭められるのは困ります。アウターの長さを変えてみたたりと試してはみたのですが、どうやってもアウターの足への当たりは解決できないのでした。
この夏、東叡社の山田社長が「鱒や」に釣りに来たときに、この問題について相談したところ、ダボの位置を右上に付け替えましょう、このぐらいの変更なら簡単ですからパーツを外したフレームを東叡社に送ってください、という話になりました。小さなダボ2つの付け替えといってもフレームに火を入れるわけですから塗装もやり直しになるし、そんな簡単にできるのだろうかともおもったのですが、送ってから1ヶ月ほどでダボ位置を付け替えたフレームが戻ってきました。塗装は火の入った場所だけを部分塗装し直したそうですが、色むらなどは無く、誰がみても付け替えがあったことは全く判らないでしょう。
このフレームにパーツを組み込んでみると、リアブレーキアウターは右斜め上のアウターストッパーダボから上に向かい、シートポストの脇をぬけてシートピン下のアウター受けへと、カップリングのロックリングに当たることなくきれいに流れます。これなら足に当たることもありません。フルオーダーフレームの瑕瑾が、この工作のやり直しで解消されたのでした。
デモンターブルでの輪行の利点はハンドルバーを抜かなくて済むこと、リアタイヤを外さないで済むのでリアのマッドガードも分割式にせずに済むこと、そしてなんといっても分解組み立てが早くできることにあります。とくにハンドルバーをステムごと抜くことがないので、最新のロード用のブレーキレバー一体型の変速レバー(シマノのSTIや、カンパニョーロのエルゴレバー)を使うことができます。
先にも書きましたが、レバー一体型の場合はブレーキケーブルはトップチューブの下側の方へ流れるようにセットする方が、よりきれいなラインを描いて無理がありません。S&Sカップリングを使ったデモンターブルの場合なら、ケーブル内蔵でいくなら、前は斜め下からトップチューブに入って、後は斜め上から出るように工作してもらえばアウターが足に当たる問題も起きないでしょう。私のようにケーブルを内蔵したくない場合は、やはり斜め上側を通すのが無難なのだとおもいます。
自転車に興味がない人が読んでも何のことだか判らないであろう専門的な事例を、ながながと書いたのは、このような問題の情報がツーリング自転車が少ない今の状況ではなかなか共有されないからです。私がフレームオーダーで悩んでいたときに、この問題についてネット検索で見つけることできたなら、工作の指定の時の参考になったとおもいます。このため、いろいろな言葉をちりばめて検索に掛かりやすいよう、この文を書いたつもりで、この日記を検索で見つけた方が、S&Sデモンターブルのフレームオーダーする方への参考になれば幸いです。
パーツの変更は2点、ハンドルバーとブレーキ本体です。バーは廃番の3TのMorpheというドロップバーで、なんとエルゴレバー用ながら肩の上がったランドナーバーのデザインです。発売時はポリッシュもあったようですが見つからず、オランダに黒カラーのデッドストックがあったので購入しました。時間ができたら黒のアルマイトを剥がしてポリッシュにしてしまおうとおもっていますが、今回は仕方なく黒のままで使っています。
カンチブレーキは当初はPAULのツーリングカンチを使っていました。充分な剛性があってカンチブレーキとしては効きはとても良いとおもいますし、デザインも、これはこれでありかなとおもう美しさではありました。が、ひとつ問題がありました。
フルオーダーのツーリング自転車というのは機能だけではなく、美しさもまたオーナーをじゅうぶん満足させるものでなければなりません。PAULのツーリングカンチブレーキはパーツ単体としては、それなりに美しいとおもうのですが、フレームに組み付けてみると首をかしげる部分があります。スプリング部分の厚みがありすぎるので、アウター受けからチドリ金具までのブレーキワイヤーがヘッドチューブやシートステート平行にならずに、下へ行くほど開いていってしまうのです。これは美しくありません。アメリカ人の考えるツーリングパーツはこんなものかとケーブルの末広がりをみておもっていたのです。ところ予想外のことに、この夏からカンパニョーロが新たにシクロクロス用としてカンチブレーキの販売を始めたのです。このカンパCXカンチブレーキは、ネットで検索するとブレーキ本体のパーツとしての写真は見つかりましたが、組み付けられた写真は見つかりませんでした。しかし見た目はコンパクトそうですしポリッシュシルバーがあるのも嬉しいところ。カンパニョーロのパーツとしては安いこともあって、ここは試してみなければと通販で購入してPAULからカンパへと付け替えてみることにしました。
カンパニョーロCXカンチブレーキを組み付けてみると、ブレーキワイヤーはヘッドチューブ、シートステーと、ほぼ平行に美しく張られることが判りました、ブレーキ本体のデザインもヨーロッパのデザインだよなと納得の美しさです。が、いちばんの問題は効きです。カンチブレーキは構造上効きの甘いものも多いのです。30年以上前の話ではありますが当時のツーリング車ではポピュラーだったフランスMAFAC社のクリテリウムというカンチブレーキで、雨の日にトラックに激突してTOEIのランドナーを潰してしまった経験があります。だからカンチブレーキの効き具合に関しては、どうしても慎重に判断したくなります。PAULのブレーキは効きは及第点でしたから、同じ条件で比較するためにブレーキシューはカンパニョーロのオリジナルではなく、PAULに使って気に入っていたKOOLSTOPのサーモンピンクのVブレーキ用を、そのままカンパニョーロCXカンチブレーキに組み込んでみました。今回のツーリングではこの仕様で走っていますが、レース用のブレーキは速度のコントロールのし易さを主目的に造られているでしょうから、絶対的な制動力がツーリング車にとっては足りないこともあり得ますので、もしもを考えて、外したPAULのカンチブレーキも車に積んで持ってきてはいます。
井原市の無人駅舎の中で自転車を組み立て、輪行袋を畳んで袋に詰めてサドル下に吊し、駅前の自販機でアルミの水筒にはミネラルウォーターを、もうひとつのボトルケージにはスポーツドリンクの500mlペットボトルを差して、さあツーリングのスタートです。小さな街の小さな集落を抜けると直ぐに道は緩い登りになって畑地帯の中を伸びていきます。グイグイと重いギアで飛ばしたくなる気持ちを抑えて、先ずは体が慣れるまで、やや軽めのギアをクルクル廻して農村の景色を楽しみながら上っていくと、体も温まって、走るのに最適なリズムを感じ取れるようになります。
駅から10キロほど、標高差で250メートルほど上ると名もない小さな峠をトンネルで反対側へと抜けます。トンネルを出ると一気の下りで国道54号線、通称出雲往還までの長い急な坂道です。ここは新しいブレーキのテストを兼ねて、ある程度スピードが出たらグーンと制動するのを繰り返しながら、だんだんと速度を上げてブレーキの効き具合をみます。どうやら少なくともドライの状態ではカンパのCXもPAULも制動力にそう差は無さそうです。シューがかなり大きな音で鳴きますが、これはシューの取り付け角度の微調整と慣らしで消えるでしょう。これで安心してサイクリングを続けることができそうです。
出雲往還は瀬戸内と日本海側を結ぶ古街道ですが、現在は広島と宍道を結ぶ国道54号線が出雲往還と呼ばれています。今回の旅の計画を立てるとき、あれこれ地図を眺めながらルートを考えたのですが、以前から一度行ってみたいとおもっていた安芸の吉田の町へ向かう国道54号線と平行して、細道が続いているのをネットの国土地理院の電子地図で見つけました。調べてみたわけではないですから確証はなかったのですが、どうやらこれが旧出雲往還なのではないかと予想がつきます。できるかぎり交通量の多い国道は避けて走りたいとおもっているので、この道を地図で見つけたことで今回の安芸吉田行きと、そのコースがほぼ決まったのでした。
峠から降りると、そのまま国道を横断してさらに進みます。やがてぶつかる道が地図で見つけた、たぶん旧街道です。国道よりは少し高い場所を国道に平行に、しかし地形に左右されて緩い曲がりやアップダウンも多い、幅4メートルほどの舗装路でしたが、両側に立つ家々の造りや農家などをみると、どうやらこの道が旧街道だったことは間違いないようです。道沿いの農家の作業場では、お婆ちゃんが丁寧に乾燥させた黒大豆を一粒ずつ鞘から出していました。余りに見事な黒豆なので、正月用に分けてもらおうかなどともおもったのですが、どうみても採れている量は自家用で販売のためのものでは無さそうで、声を掛けるのを躊躇いました。天気も良く風も爽やかで、交通量の多い真っ直ぐな国道を右下に見おろしながら田園地帯の旧道を走っていくのは実に気持ちがいい。
道が八千代という字まで来ると、左手から大きな川が流れてくるのにぶつかります。中国地方一の大河、江の川です。この八千代から先、車を置いた三次までは旧道がどの道なのかよく判らないので、江の川沿いに国道のない側を選んで走るコース取りを考えてあります。安芸の吉田の町もまた江の川沿いの町でもあります。
やがて対岸に町が見えてきます。ここが安芸の吉田の町で、ごちゃごちゃとした曲がりくねった細い道が小さな街を縦横に走る、昔ながらの静かな城下町です。戦国時代に中国地方を席捲した毛利元就は、もとはこの地の国人領主だったのです。毛利元就の墓は彼の根拠地だった吉田の山城にあり、今でも名所旧跡として訪れる人も多いそうですから、小さな城下町を走り抜けて、さっそく自転車でいってみることにしました。墓地は山の中腹にあってインナーローでクルクルと廻しながら上っていくと、こぢんまりとした吉田の盆地を見渡すことができます。時間もすでに4時近くだったためか、もう誰もいません。急坂を自転車を押して歩いて登っていくと、冷たい夕暮れの凜とした杉の森の奥に、苔むした毛利元就の墓があったのでした。
この街の面白いところは、今もって毛利元就を町民の皆が慕っていることにあります。戦国期に中国地方の覇王であった毛利家は、ご存じのように関ヶ原の戦で西軍に付いて、江戸時代は長州藩として今の山口県一県に外様大名として封じ込められます。安芸吉田の町は広島藩からの分家の広島新田藩の領地として江戸時代を廃藩置県まで過ごすのですが、街を歩いても広島新田藩の遺構はほとんど残っておらず、町の土産は銘菓毛利公なのでした。
宿に自転車を預けてから夕食の前に薄暗くなり始めたこの静かな城下町を散歩してみました。小さな商店街に買い物や通学用の自転車を並べた、これも古そうな自転車店があったのですが、覗いてみると古びたロードレーサーが1台置いてあるのに気づきました。これは面白そうと、見せてくださいと店に入ってみると、このロードレーサーたぶん70年代後半か80年代前半のカワムラサイクルのニシキブランドのものでした。フレームにはCrMo 0.6-0.3-0.6のデカールも張ってあって、これが極薄チューブのタンゲプロなのでしょうか、この肉厚の薄さは驚きですね。物珍しそうに自転車を見ていた私に店主が、当時うちの店ではこのロードレーサーを3台売ったのだけれど、そのうちの1台がこれで、最近レストアして欲しいと里帰りしてきたのだと教えてくれました。他の2台はどうなったのでしょう?と訊ねてみたら、どちらも最近はあまり乗られてはいないようだけれども、2台ともきちんと保管されているよと教えてくれました。古い城下町は人の動きも少ないのでしょうか、30年以上前に売った古い自転車がどうなっているのかも判っている物持ちの良さが、この街の性格をも教えてくれるような気がします。
今晩の宿は町内の古い割烹旅館で、どこかで聞いた屋号だとおもったら『街道をゆく』で司馬遼太郎も泊まった旅館でした。が、今はもう建物もかなり傷んでいて割烹部門は休止しているのでしょう。宿の老夫婦のもてなしは暖かかったですが、中国地方担当で、もしかしたら松茸でも食べれるかもと期待して初めてこの宿に泊まったという読み間違いをした横浜から来たセールスマンとふたりで、ガランとした広い食堂での寂しい夕食でした。
それでも昨日はエレベータの音で眠れなかったけれども、今日は自転車での心地よい疲れとビールの酔いとで、ゆっくり寝られるだろうとおもったのが・・・実は大間違いだったのです。夜10時から宿の前の舗装道路を掘り返すNTTの工事が始まったのです。すきま風も入るような古い和風旅館では防音などというものは全く無く、夜の2時半に工事が終わるまで寝付くことはできませんでした。宿の前がいくら昼間は交通量の多い道路だとはいえ、この静かな城下町で派手な騒音の工事を夜中にやる許可を出す行政というのは、未だ田舎の町ってのはこうなんだと考えさせられるものはあります。
2日続けての寝不足の朝は辛いものがありますが先へ進まねばなりません。朝食を食べて直ぐに出発です。今日は三次までの30キロちょっとを自転車で走って、三次の駅に止めてある車に自転車を積んだら熊本まで移動のつもりです。三次まではできるだけ国道は避けて、対岸の道を進むコースをとります。国道が川沿いに走るような川では、対岸にも道が沿っていて、それが国道ができる前の旧道だったりすることはよくあります。こういうときに国道の対岸を自転車で走るのはじつに愉しいのです。新しい建物やドライブイン、ガソリンスタンドなどは当然交通量の多い国道に立ち並びますから、対岸には古い家並みが残っていることが多く、狭い道路も住民が使うだけですから車も少なく、ノンビリと景色を愉しみながら自転車で走るには最適です。途中、川が大きく蛇行するところでは国道は遙かに川から離れてしまい、川沿いの細道は途中から鉄道と一緒にはなるものの誰も通らぬ静かな道で、この区間を走っているときには、北海道から来た甲斐があったなぁ、こんな道が何処までも続けばいいなとおもうほどに、もう実に気分良く走ったのでした。
今回の旅はかなり行き当たりばったりで、11月24日の夕に福岡、26日の夕に大阪が決まっているだけで、あとは天気と気分次第です。ですが、自転車で走るコースについては白紙からその場で新たなコースを考えるのも無理がありますので、日の短い秋の旅ということで走行は1日80キロくらいまで。積載できる荷物の量から考えて自転車の旅は1日か1泊2日までと考えて、旅に出る前にいろいろと情報を集めておきました。そのうえで、こんなコースも考えられる、こんなコースはどうだろうと、実際の日程で走ることが可能なコースの数より、より多くのコースをあれこれ考えてきてはあります。これらのコースを旅のなかで、天気や気分で取捨選択したり、実際に走りながら一部変更などでやっていこうと予習はしてきたってわけです。
安芸吉田から三次の江の川のコースは、さらに続けてこのまま河口まで行くことも考えていました。中国地方最大の川である江の川は、三次の町へ西から流れ込み、そこから北へ、更に南西へ、また北西へと流れを変えて河口の江津の町で日本海へと注いでいます。三次から途中、粕淵辺りでもう一泊して江津までの約130キロのルートは、江の川沿いの国道357号線の対岸に全行程の8割方は道があるのは判っていますし、またJR三江線も同じルートを通っていますから輪行サイクリングには最適なコースにおもえます。が、それでも今日は熊本まで進んでおこうとおもったのは、今回の旅は九州中心でいこうとおもったからです。中国地方は来ようとおもえばまた来れられる。九州は、それも南の方となると車での行程でも更に片道に付き1日プラスになりますから、せっかく今回のように長い休みの日程を取れたのだから、先ずは北海道からは行きにくい九州へ渡ろうと、そう考えました。それに今日は日曜日です、長距離の移動では高速道路が終日半額は旅の経費節減には大きな利点ではあります。
写真はクリックすると大きく見ることが出来ます。今回の旅は荷物を軽量化するために一眼レフは持って行かずにコンパクトデジタルカメラだけでの撮影ですから、アラが出てしまうのでそれほど大きくはならないけれど・・・