2010年 12月 11日
子生まれ石 |
昨晩は静岡の街泊まりで、静岡の酒は素晴らしかった。2軒はしごしたけれど、どちらも大満足。老舗の大衆居酒屋と新進のモツ料理屋。12月の金曜日とあって、どちらの店も忘年会グループで満員、人混みの中の孤独を肴に酒を飲むのもまた良し。ホテルから飲み屋まで、ちょっと距離があったけれど、その間にも何軒も入って見たいとおもわせる店があったりで、静岡あなどりがたし。
朝から良い天気で雪を被った富士が見える。今日は暖かかな一日になりそうだ。先ずはカーナビに誘導されて相良の大興寺へ。カーナビは目的地の近くですというし、寺の大屋根も見えているのだが、茶畑の中を入っていく道が判らない、誘導する看板が全くないのだ。わざわざ北海道から見に来たのに、他に見に来ようという人は居ないのか?
無縫塔という墓石を御存じだろうか? 上の写真が無縫塔の墓で寺の裏の墓地などで見かける。この独特の形の墓石は卵塔とも呼ばれていて、たいていの場合その寺の住職の墓だ。
上の写真の無縫塔も大興寺の住職の墓石だが、下の写真の、このズラッと並んだ歴代の住職の無縫塔は、繭型というかヒョウタン型というか、自然石が使われているのだ。
自然石だから大きさ形が微妙に違うが、よくまあ似たような形の石を見つけたものだとおもう。これが不思議な「子生まれ石」なのだ。
寺の言い伝えによると600年ほど前に大興寺を開山した大徹和尚は仏道だけでなく「那須の殺生石の謎を解いた名僧」としても語り継がれているそうだから、当時の地質学者でもあったのだろう。この大徹和尚が90才で大往生をとげようとするとき「自分の身代わりとして裏山より石が生まれるであろう」と預言した。そして、まゆ型の無縫塔が崖の中から現れ落下したのだという。
以後、この寺の二十九代を数える代々の住職が死ぬと、その直後に石が崖から生まれ出るのだそうだ。
石の生まれる崖にいってみた。寺のある小山の裏側、小さな川に沿った崖だ。これは驚く、確かに丸い石が崖から生まれ出ようとしているように見える。すでに生まれ出てしまったまゆ型の石も二つあったし、捜してみると、他にもこれから生まれよう?としている石が幾つかある。大興寺の住職は、どの石が自分の石なのか知っているのだという。
すでに生まれ落ちた石があったので叩いてみた。表面は間違いなく堅い石だ。が、一部が欠けていたので中の方はと叩いてみると堅さが違う。確かに石ではあるが砂岩のような柔らかさに感じた。壊してしまうと拙いので確証はないけれども、岩が転がって角が取れて丸い石になったのではないことは間違いないと思う。
石の出る崖の近くには町の造った駐車場とトイレ、あずまやの休息所もある。あまりの不思議さ面白さに1時間以上ウロウロしていたのだが、この間、誰ひとり来なかった。こんなものを面白がるのは私だけ?
子生まれ石の伝説を書いた看板はあれど、地質学的な説明を書いた看板などはいっさい無かった。
この石の話を知ってから三十年以上、いちどは見に行って確かめてみようと思い、やっと来ることが出来たのだが、見れば見るほど不思議で、そして石の成因の謎は謎のままなのだった。
天気が良く暖かいので、石の次は島田の町へ出て自転車散歩。先ずはギネスブック認定という世界最長の木造橋「蓬莱橋」へ。
そのあとは大井川川越遺跡へいってみた。江戸時代の東海道は大井川に橋が無く、人足に担がれて川を渡ったのだが、その人足達の寄り合い所の番宿や札場、旅人が渡河の川札を買った川会所などが復元されていて雰囲気だ。
といっても、旅人や大名行列が泊まる宿場は島田宿や対岸の金谷宿で、この場所は渡河のための施設だから、宿場町の建物のような重厚さはなく、安普請の小屋が並んでいるだけだ。島田宿の方は、もう当時の建物はまったく残っていないのだそうだ。
朝から良い天気で雪を被った富士が見える。今日は暖かかな一日になりそうだ。先ずはカーナビに誘導されて相良の大興寺へ。カーナビは目的地の近くですというし、寺の大屋根も見えているのだが、茶畑の中を入っていく道が判らない、誘導する看板が全くないのだ。わざわざ北海道から見に来たのに、他に見に来ようという人は居ないのか?
無縫塔という墓石を御存じだろうか? 上の写真が無縫塔の墓で寺の裏の墓地などで見かける。この独特の形の墓石は卵塔とも呼ばれていて、たいていの場合その寺の住職の墓だ。
上の写真の無縫塔も大興寺の住職の墓石だが、下の写真の、このズラッと並んだ歴代の住職の無縫塔は、繭型というかヒョウタン型というか、自然石が使われているのだ。
自然石だから大きさ形が微妙に違うが、よくまあ似たような形の石を見つけたものだとおもう。これが不思議な「子生まれ石」なのだ。
寺の言い伝えによると600年ほど前に大興寺を開山した大徹和尚は仏道だけでなく「那須の殺生石の謎を解いた名僧」としても語り継がれているそうだから、当時の地質学者でもあったのだろう。この大徹和尚が90才で大往生をとげようとするとき「自分の身代わりとして裏山より石が生まれるであろう」と預言した。そして、まゆ型の無縫塔が崖の中から現れ落下したのだという。
以後、この寺の二十九代を数える代々の住職が死ぬと、その直後に石が崖から生まれ出るのだそうだ。
石の生まれる崖にいってみた。寺のある小山の裏側、小さな川に沿った崖だ。これは驚く、確かに丸い石が崖から生まれ出ようとしているように見える。すでに生まれ出てしまったまゆ型の石も二つあったし、捜してみると、他にもこれから生まれよう?としている石が幾つかある。大興寺の住職は、どの石が自分の石なのか知っているのだという。
すでに生まれ落ちた石があったので叩いてみた。表面は間違いなく堅い石だ。が、一部が欠けていたので中の方はと叩いてみると堅さが違う。確かに石ではあるが砂岩のような柔らかさに感じた。壊してしまうと拙いので確証はないけれども、岩が転がって角が取れて丸い石になったのではないことは間違いないと思う。
石の出る崖の近くには町の造った駐車場とトイレ、あずまやの休息所もある。あまりの不思議さ面白さに1時間以上ウロウロしていたのだが、この間、誰ひとり来なかった。こんなものを面白がるのは私だけ?
子生まれ石の伝説を書いた看板はあれど、地質学的な説明を書いた看板などはいっさい無かった。
この石の話を知ってから三十年以上、いちどは見に行って確かめてみようと思い、やっと来ることが出来たのだが、見れば見るほど不思議で、そして石の成因の謎は謎のままなのだった。
天気が良く暖かいので、石の次は島田の町へ出て自転車散歩。先ずはギネスブック認定という世界最長の木造橋「蓬莱橋」へ。
そのあとは大井川川越遺跡へいってみた。江戸時代の東海道は大井川に橋が無く、人足に担がれて川を渡ったのだが、その人足達の寄り合い所の番宿や札場、旅人が渡河の川札を買った川会所などが復元されていて雰囲気だ。
といっても、旅人や大名行列が泊まる宿場は島田宿や対岸の金谷宿で、この場所は渡河のための施設だから、宿場町の建物のような重厚さはなく、安普請の小屋が並んでいるだけだ。島田宿の方は、もう当時の建物はまったく残っていないのだそうだ。
by troutinn
| 2010-12-11 18:50
| 旅